Daaとクラリネット(出会い編)
Daaとクラリネットの出会いは小学校6年生でした。 当時、部活はミニバスケット部に所属しており、毎日夜遅くまで部活をしていましたが、 本来の音楽好きだった私は、学校の休み時間などに同級生とリコーダー合奏などを していました。 実は「リコーダー学級」だったんです>うちのクラス 担任がチェロ弾きだったこともあったのかもしれません。 そんなある日、「市報にいがた」という新潟市の広報誌に載っていた「新潟市ジュニアオーケストラ教室」 のメンバー募集を見ました。ここは新潟市の事業として「無償」で初歩からレッスンを受け、オーケストラ で合奏が出来るようにメンバーを育てるという教室で、昭和55年に現在の形になりました。 私が募集を見たのは3年目の昭和57年でした。で、「行きたいけど、楽器をどうしよう?」と悩む 私に母が「クラリネットはどう?」と推薦してくれました。実は後日談なのですが、母は割とジャズクラリネット が好きだったようで、その辺が推薦の理由にもなったようです。 そして、申し込みを済ませ、事務局からの連絡を待ちました。 入団試験まではそうして月日が流れていきました。 |
そして、入団試験の日。 新潟市音楽文化会館に親と妹(フルートを受験しました)と共に行ってきました。 説明会の後、いよいよ面接です。私はクラリネット担当の山田先生の面接を受けました。 実際に口を見られたりしました。私は前歯が出ているので(^_^;)、その辺も審査のポイントに なったようです。実際にマウスピースをくわえてみたりして、その日は終了しました。 でも、今思うと、楽器を触ったこともない人を「試験」するのも大変ですよね。 そして、合格通知が来ました\(^o^)/ クラリネットはたしか8名近くいたのですが、合格したのは2名でした。 一緒にフルートを受験した妹は不合格。。倍率の高さがネックだったようです。 ちなみに妹は当時器楽部でアコーディオンを弾いていたのですが、これを転機に? 中学からはバレーボール部の道を歩んでいきました。。 |
最終更新日:1999年11月11日