Daaとクラリネット(怒涛の中学編〜1)


これから中学校に入るという3月の終わりに合宿がありました。2泊3日で音楽文化会館を 借り切って昼は練習、夜はJR白山駅近くの「土地改良会館」にて宿泊という3日間でした。
この合宿でクラリネットの指導者が変わりました。長谷川先生という方で、当時大学を新卒された ばかり!ということで初々しい指導だったような。。。


そして中学校に入りました。私のいた中学校は新潟市の関屋中学校でした。 ここは当時県内の吹奏楽では有名なところで、中学Bの部でしたが県大会上位 入賞常連でした。
で、部活に入るまでは1ヶ月あったのですが、バスケットを続けようかと思っていた 私はバスケット部に入るつもりでいたのですが、同じアパートにたまたま当時 のブラスバンド部の部長(しかもクラリネット)がいまして、会う度に「入れ!」 と言うもんですから、気が付いたら部活見学期間(4月終わりに1週間ありました)は 音楽室に入り浸ってました(^_^;)
同じ学年のクラリネットは合計8名、部員が80名近く(当時)いたので、とても 大所帯だったのですが、そんな中でみんなと一緒に基礎練とかしました。 でも、私だけ1年みんなより先にはじめているんですよね(^_^;)ですのでちょっと退屈な 練習だったような気がします。

8月初旬は吹奏楽コンクールです。1年生の私は当然?メンバーから外れ、35名の選抜メンバーが 中学Bの部で「インヴィクタ序曲」を演奏しました。地区大会は突破。楽器運び係(実はこれになると 無料でホールに入れるのでこれになるだけでも栄誉あるんですよ)の私も喜んだ覚えがあります。
そして、お盆もあけ、そろそろ県大会。。という時に自宅に電話。かかってきたのはジュニアオーケストラ の方からでした。当時も毎週レッスンは受けていたのですが、この度「初級合奏」へ昇級したという連絡 でした。楽器をはじめて1年ちょっとだったのでうれしかったですね。しかし、問題が。。。
初級合奏の1回目の練習日が吹奏楽の県大会だということです。オケに参加して「練習」 をするのか、それとも関東大会(当時)を目指すメンバーの一員として楽器運びですが上越まで行くか。。 で、結局オケに行きました。思えばここですでに将来オケを取るというきっかけになったのかも。。
部活の方はめでたく県代表(中学Bの部では1校のみ)になりました。しかし、やっぱりというか関東大会(水戸) に行くメンバーからは外れてしまいました。まあ県大会に行かなかったんだからしょうがないけどねぇ。。 それからちょっと顧問とはあまりいい関係ではなかったような気がします。

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最終更新日:1999年11月11日