Daaとクラリネット(怒涛の中学編〜2)


昭和58年(1983年)の9月15日が私のオーケストラでの初舞台でした。まだ楽器を初めて1年の私は"初級合奏(現A合奏)"という ところで出演しました。ここは楽器をはじめて数年までの人が合奏の初歩を学ぶところでして、演奏した曲も初級者向けの小品 と指導者の方アレンジの日本の愛唱歌などを演奏しました。数曲しか出番がなかったのですが、練習はきつかったですね。 本番直前なんか全然うまく吹けなかったので一緒に初級合奏にあがった人と2人で居残り特訓受け手泣きながら吹いた 覚えがあります。。でもあそこでくじけなかったのがよかったかもしれない。


部活の方はその後もいろいろと大変でした。学校帰りに買い食いをしていた先輩が見つかってしまい、そういうことを これからしないにはどうすればいいかなんて話し合いをしたり、当時流行っていた「アルヴァマー序曲」をきちんと吹く ことに燃えたり。。そんな感じでした。

そして、翌年の春についにオケはメインの合奏(現B合奏)に進級できました。初級合奏に当時メインの指揮を していた私のクラの先生が来て特にクラを重点的に分奏するので何だろう。。と思ったのですが。でも楽器をはじめて まだ2年経ってなかったわけですから、自分の実力が認めてもらえてうれしかったですね。でも今振り返ると当時 クラリネットがそれまでやっていた方が辞められて空席だったというのもあったみたいですが。。
合奏はきつかったですね。小さいころから楽器をやっている人も多かったですし、レベルが高い。そこにはじめて 1年半近い私が入るのですから。。。
B合奏にあがってから最初の演奏会では"交響曲第1番(Beethoven)"と"「ウインザーの陽気な女房たち」序曲(Nicolai)" をやりました。ベートーヴェンはTuttiが多かったのですが、第3楽章のトリオがクラ+ファゴットのアンサンブルがありまして 今ですとあれくらいはそんなに気にならないんですが当時は「大ソロ」だとがんばっていましたねぇ。当時はフルートが 空席だったのでオーボエやファゴットのお姉さま方(^_^;)と合わせることが多かったのですが、みなさんやさしい方ばかりで とても勉強になりました。

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最終更新日:1999年11月11日