Daaとクラリネット(怒涛の中学編〜3)


中学2年になって部活は顧問が変わりました。それまでは合唱の方から入り、割とミュージックエイトの 曲やアメリカものをよくやる方だったんですが、今度の顧問は日本人作品が好きな人でした。そのため 部活でやる曲もかなり変わりましたね。中学2年のコンクールの曲は"東北民謡によるコラージュ"という 昔の課題曲になりました。Bの部だったので35人編成でしたが、打楽器が7名くらいいたっけなぁ。。 私は何とかメンバーに入ることが出来まして、当時は2ndを吹いていたのですがコンクールでは3rdで出場 しました。地区大会は順調に突破。新潟県民会館での県大会に出演しました。しかし残念ながら県代表には なれず。。実は2点差だかの2位だったそうで、当時はやはり代表枠の少なさ(各県1校)が響いたようです。。


オケは部活の合間を縫って土日に練習を行っていきました。そして9月15日の本番を迎えました。 もうかなり以前のことなので当時の様子は覚えていませんがそれなりにはうまく行ったのかなぁ。 まああれがオケのメインの曲の"1stデビュー"でしたね。今思うと当時の先生方は既に私が"上吹き" なのを見破っていたみたい(^_^;)。それから退団するまでの5年間ずっとメインの曲は1stでしたから。。

学校は文化祭が終わった11月のあたまが3年生の引退です。いよいよ私たちの学年が 役員をやる年になりました。顧問には私かなり気に入られていたようでその年から 出来た"学生指揮者"に私をさせようとしていました。しかし、役員選挙で私が副部長に なってしまいまして、そしたら顧問が「副部長の一人が指揮者をやることにしよう」だって。 おいおい、そこまでして私を指揮者にしたいのかい(苦笑)
という訳で音楽関係は指揮者としての吹奏楽とクラリネット奏者としてのオケの2段構えに なりました。でもコンクール以外は無理に吹奏楽の曲やらなくてよかったからオケの曲に うち込めたかも。。部活では4月の"新入生歓迎会"に向けての練習やマーチなどを練習して いきました。その他にはドヴォルザークの"序曲「謝肉祭」"もやったっけ。。中学生指揮者 としてはあれは辛かった(笑)

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最終更新日:1999年11月11日